成功体験だけが教科書ではおぼつかない―天才と賢い人の違いは?の問から考察する現実―Ⅳ(おしまい)
「才覚」というものが、誰にも射ることのできない的を射るくらい難しいものだとしても、高度経済成長期のように他力でそうなる状況から脱皮して、自らの力で成長をつかみ取る経営者が出てこないものか、というのが私の望むところなのだ。
とはいえ、そんな経営者は本当に少ない。
ただ考えてみれば、ひたすら右肩上がりだった高度経済成長期に比べて、日本全体が厳しい経済状況になっていることは間違いのない現実である。
これを脱出するための、魔法のような処方箋があるわけではない。
いったいどうすればいいのか?
何か有効な手立てはないのか?
それには、まずは先述したように、「遠くにある的」とは何であるか、それを目指すにはどうしたらいいのか、といった足元の見直しから始めるしかない。
「目指すべき何か」を見定めなければならない。
そのためには、経営者はもっと学習する必要がある、と私は思う。
かつての自分の成功体験だけが唯一の教科書というのでは、この複雑な現代の経済状況に通用するはずもない。
これは、成功体験すら持たない若い経営者にとってはなおさらのことである。
学習を重ね、「遠くにある的」をより明確なものにしなければならないのだ。
そして、それを射抜くに越したことはないが、例え射抜くほどの才覚はなくても、的(目標)を持てるだけでも差別化は図れる。
少なくとも、商売(事業)の失速のリスクは、かなり回避することができると思う。
的を定め、それを射抜くためにどうすればいいのかという、具体的な手法は昔に比べて随分充実してきている。
ちゃんと探せば学習の素材はいろいろと準備されているので、特に若い経営者は、自ら研究し勉強してほしいと思う。
手前味噌になるが、私などもその学習に役立つ材料についてはかなり前から研究し、ある程度準備もできている。
それについては、これまでもいろいろな形で発信してきたし、これからもさらに提供していくつもりなので、特に若い経営者については大いに利用してもらいたい。
さて、ショーペンハウエルの言葉からずいぶん飛躍してしまった。
冒頭の「才覚」という言葉から、今身近で起こっている困った状況を分析してみた。
「才覚」或いは「天才」というレベルでなくても、適切な学習を続けることで、そういった境地に近づけるのではないかと思う。
そうやって「才覚」を発揮できるできるだけ多くの経営者をサポートしていきたいと思っていますので、どうぞ声をかけていただきたい。
より高みを目指せ
おしまい