能力を体力でカバーしていた?!?―「働き方」について思うこと―Ⅱ
バブル前夜からバブルの頂点へと、日本経済がまっしぐらに突き進んでいたちょうどそのとき、私と仲間たちで起業したベンチャー企業は、その波に乗って急成長を遂げました。
次々と大手企業が仕掛ける新規事業のマーケティングリサーチに関する受注は引きも切らず、ほとんど殺人的ともいえるような忙しさで働いていたのです。
そんな「働き方」に終始したのは、単に受注が多かったというだけでなく、そのほかにもいくつかの理由がありました。
その「理由(わけ)」というのは以下に述べるようなものだったのです。
一つは、身の丈に合わない高レベルの案件を引き受けていた、ということであります。
「自分たちには到底無理!」と思われるような案件にも、果敢にチャレンジしていました。
前述のように、多くの企業が様々な新規案件を抱えていました。
その中で、私たちに仕事を発注してきたのは、日本でも有数の大手企業で、しかもいずれの案件も大型のプロジェクトでした。
これらの企業は言うまでもなく、優秀な社員を抱えています。
ところが不思議なことに、彼らは極めて高い能力の人材だったにもかかわらず、新規案件に対する姿勢やスキルは、それほど優れているとはいえなかったのです。(理由はあとで述べます。)
そういった大企業がテーマとしている新規案件だけに、易しいレベルのものは一つもありませんでした。
にもかかわらず、というか、だからこそ、私たちのような小さな会社に依頼してきたのです。(上記同様、理由は次の項目で述べます。)
そのために、私たちの能力を超えるようなテーマの案件も多く、能力的に届かない分、身体を張って頑張っていたことになります。
そうすると、結果的に跳ね返ってくるのは投入した時間の量ということになりますので、当然のように労働時間は過酷なものになっていったのです。
これが、私たちが長時間猛烈に働かざるを得なかった第一の要因ということができます。
能力を体力でカバーしていた、という何ともカッコ悪い理由と言えるでしょう。
とはいえ、それが通用したというのも、或る意味、バブルが面白い時代だったという一つの証左でもあります。
がむしゃらに働いていましたよね。
つづく