年をとっても、ちょっとだけ良いことが・・―眼鏡がないっ!一つの現象に見る「もの忘れ」の兆候―Ⅰ
年をとるともの忘れが激しくなる、というのはよく言われることだが、「そんなことはない!」という説もあれば、「当然の生理である。」という説もある。
そうならない(物忘れが激しく)方法もあるとは聞いたけれど、現実は、やはりだんだんひどくなる傾向にあるようだ。
やたらと「探しもの」をする回数と時間が増えてきたような気がする。
人生にとって、これほど無駄な時間はないので、そんなことにならないように、なにかと工夫が必要だ。
その一つとして、先日、「メモする」ということをこのブログでも書いた。
しかしうっかりすると、そのこと自体、忘れてしまうことが多い。
今回のテーマは、今朝、出がけに思いついて、とにかくその辺にあったメモ紙に書いておいた。
今度は、そのメモ紙とメモしたことを忘れないようにしなければならない。
幸い、事務所についてからもそのメモ紙が手元にあったので、今こうやって書いている。
最近、家や事務所といった生活する上ですっかり慣れてしまっている場所では、眼鏡をしないことが多い。
私は近眼なので、眼鏡をかけなければちょっと離れたものでもよく見えないし判別できない。
運転などはもちろん眼鏡をかけていないと危なくてしょうがないだろう。
しかし、普段の室内での生活では、前述のようにかけないことが多くなってきた。
そのことを、いつも眼鏡を誂えている馴染みの眼鏡屋のご主人に告げたところ、
「老眼と近眼がだんだん近づいてきて、近眼が矯正されているのですよ。」
といわれた。
なるほど、年をとるということは悪いことばかりでもない。
ほんのちょっとは良いこともあるのだ、と教えられた。
とはいえ、今持っている眼鏡がすべて合わなくなるとしたら、それは困った事態といえよう。
現在、7,8個持っているから、これらのレンズをすべて替えるとなると大変な出費になる。
眼鏡屋のご主人は
「今のままでも、生活に特に支障がなければ大丈夫ですよ。」
と言ってくれたので、当面、このままでいようと思っている。
つづく