ぶっ続け何時間でも頭を使い続けられる脳みそ―「仕事ができる」とはどういうことか?を読んで―Ⅷ

最近読んだ『「仕事ができる」とはどういうことか?』という一冊の本をきっかけに、ここまで書いてきました。

肝心の仕事ができるか否かというメインテーマよりも、それをわかりやすく説明するための「モテる」には、というサブテーマの方にすっかり力を入れてしまったようです。

 

せっかくですから、もう少し追求してみましょうか。

 

もう50年近く昔のことになりますが、同級生に東大の医学部に進んだ奴がいました。

私は私立の文系で割とのんびりしていましたので、そいつのアパートにはよく遊びに行っていました。

 

ある日、間もなく期末の試験が始まるということで、そいつのアパートに4,5人の医学部生が集まって勉強会を開いていました。

何やら、難しい原書みたいな本を、あーでもないこーでもないと検討しています。

 

私は、彼らの脇に寝っ転がって、小説かなんか読んでいたと思います。

彼らの勉強がひと段落したら、一緒に飯でも食おうと待っていたのです。

 

ところが、2時間たっても3時間たってもその勉強会が終わりません。

ちょっとした休憩すら挟まないのです。

 

5時間くらいたった頃、ようやくその日の勉強会はお開きになって、私の友人を残してみんな帰っていきました。

彼らを送り出した友人に私は

「すごいな、お前らの勉強はぶりは。あんなにぶっ続け出来るんだ。」

すると友人は

「ああ、あいつらの頭はどうかしてるぜ。頭を使い続けるスタミナの頑強なことには舌を巻くよ。今日は俺も疲れた。」

まあ、その友人だって5時間ぶっ続け一緒にやっていたのですから大したものです。

そこで彼がふと漏らしました。

「なあ、最後に帰っていった○○って奴、ちょっと変わっていただろう?」

そういえば、一人ひときわ甲高い声でよくしゃべる少し変な奴がいたことを思い出しました。

「あいつ、出身地の田舎始まって以来の秀才だったんだぞ。それがなんで東大の医学部に来たかわかるか?」

友人は、勉強仲間の中の一人の人物について、私にそう問いを投げかけてきたのです。

 

 

つづく