「自己成長」は、死ぬまで放棄しない―自己成長の条件とは?―Ⅵ(おしまい)

幻冬舎代表の見城徹氏がその著書である「読書という荒野」の中で述べられている

「人間が進歩するためには、自己検証、自己嫌悪、自己否定の三つが必要である。」

という言葉の中の最後にあげられている「自己否定」。

私の場合、意図的でなくても、

「ずっと「自己否定」してきたかも知れないなあ・・・」

と、振り返ること仕切りなのであるが。

 

改めて、見城氏の言われる「自己否定」を見てみると

―自己否定とは、自己満足を排し、成長していない自分や、自分が拠って立つ場所を否定し、新たな自分を手に入れることだ。―

と書いておられる。

 

「自己満足を排し、成長していない自分や、自分が拠って立つ場所を否定」するところまでは、私自身これまで、「コンプレックス」というものとの戦いの中で、自然な形で実践してきたかも知れない、と書いた。

 

しかし「新たな自分を手に入れる」という点ではどうだろうか。

なかなか「新たな自分」が手に入っていないのが今の現実なのであろう。

 

この「新たな自分像」というのが、思い浮かばないのだ。

卑近なところでは「女性にモテる自分」なんてなのを想像したりして、カミさんに散々バカにされたものだが、もちろん見城氏はそんなことを言っているのではない。

「カネの稼げる自分」というのも想定したがそれも違うだろう。

 

こう考えてくると、「新たな自分」を手に入れる、というのは、かなり難しいテーマである。

ただ、その始まりが「自己否定」ということなら、それなりにやってきたことなので、改めて意識しながら追求することは可能な気がする。

 

いずれにしても、私の場合、見城氏の言われる「人間が進歩するために必要な、自己検証、自己嫌悪、自己否定の三つの要素」については、「そんなこと考えもしなかった。」というものではないので、受け入れることはできそうだ。

 

年齢的には70も近くなった私ではあるが、私より年上の見城徹氏が、こんな信条で生きておられるのなら、見習わないわけにはいかない。

「自己成長」は、死ぬまで放棄することはないだろう。

 

これからも、自己検証、自己嫌悪、自己否定の三つを肝に銘じながら生きていくことになりそうである。

おしまい

 

今日の川柳コーナー

◆モテたいと 口にするほど バカにされ

◆歳重ね なりたい自分は 遠くなり

とはいえ、まだまだ諦めませぬぞ。