「盆栽」と「大木」では、ビジネス上の果実がまるで違う―メイドインジャパンンの不振からビジネスを考える―Ⅷ(おしまい)

ものづくりに準じて、プロモーション、流通、販売、リサーチなどを連動させるというマーケティングモデルが確立されていな日本企業。

こういった「加点型の完璧主義」へ向かってものづくりのプロセスを組み上げていく手法を確立できなければ、メイドインジャパンの将来はどうなっていくのか・・・・


この点に関して筆者は次のように述べている。
―つまり、日本も世界のトレンドも「完璧」を目指してはいるが、完璧さの種類が異なるのだ。

日本は、1つのプロダクトに時間をかけ、器の中の「盆栽」のように、減点型のミニマムな完璧をつくって広めようとする。


 それに対して世界のトレンドは、完璧を目指すまでに、いくつものプロダクトをつくり、高速に発売・改良・バージョンアップを繰り返し、大地に根を張る「大木」のように加点型のマキシマムな完璧をつくって広めようとする。―


なるほど、同じ完璧を目指すといっても日本と世界とではそのアプローチの仕方が随分異なっている。

「盆栽」と「大木」では、ビジネス上の果実として得られる結果がまるで違ったものになるのだ。


「盆栽」的な製品を目指すものづくりのやり方としては、日本は今でもその優れた長所をいかんなく発揮できるのだろう。

しかし、残念ながらそうやって完成した製品は、革新的な魅力あるプロダクトとして、世界の市場で支持されることはないのだ。


私はこれまでダイソンやルンバのような新しいコンセプトや機能を持った製品が登場するのに、日本がそういったものを作れないのは何故だろう、と不思議だった。

技術的にできないはずはないのだから、ソニーのウォークマンのときのように画期的な製品をどんどん企画すればいいのに、と思っていたのだ。


しかし、今回この記事を読んでいると、やはり企業の構造的な問題に行きあたる。

ここを何とかして突破しなければ日本のものづくりにかかわる産業界の明日はないだろう。


それには発想の転換と、具体的には世代交代をどんどん推し進めるといった対応が必須である。

ポテンシャルは間違いなく高いはずなので、日本のものづくり企業の復活を願いたい。

 

                 日本企業、がんばれ!!

おしまい