どんなじじいになるのか?―疎まれもせず、重宝がられもせず・・・が、理想かな?―Ⅴ

さて、回答者の鋭い指摘はさらに続く。

 

私がこのブログに先述した

―どうしても会うとなれば、それなりの軋轢は自分も息子たちも覚悟しなければならない。

しかし、やや残念な気持ちを引きずりながらも、放っておけば残り少ない人生、穏やかに過ごせるのだ。―

という指摘に関しては、この回答者も同様の感想を持っていたようだ。

 

その点について、次のように書かれていた。

―あなたの方が態度を改めない限り、お孫さんと会うのは諦めるしかないです。

その代わり、あなたは「自分は絶対に正しい、息子は間違っている」というプライドを保ったまま、一生を終えることができます。―

 

なんと、皮肉のこもった、しかし、的を射た指摘だろうか。

この強面(こわもて)の相談者を、直球で批判しながら、そのややゆがんだプライドのあり方を軽くいなしているのだ。

 

「プライドは保てますよ。」

と言いながら、

「それは死ぬまで引きずるということを意味しているのですよ。」

とい指摘は、結構重い。

意地を貫くということはこういうことなのだろう。

 

しかし、よく考えてみればここで使われている「プライド」という言葉は、崇高なものでも何でもない。

この相談者は後生大事にしているのかも知れないが、傍から見れば、実につまらない自分のエゴのためにこだわっているようにしか思えないのだ。

 

この相談者はすでに70代である。

この狭量さは、さらに年を重ねれば、もっと自分を苦しめることになるのではないだろうか。

私だったら、こんなプライドなどいとも簡単にかなぐり捨てるだろうが、この相談者の場合、それは難しそうである。

 

 

つづく