「読みたいことを書けばいい」・・について―案外難しいな「読みたいこと」―Ⅱ(おしまい)

「読みたいことを書けばいい」という本を読んで

「おっしゃ、俺の読みたいことを書くぞっ!」

と張り切った私であったが、的が広がり過ぎて、かえって混乱に陥ってしまった。

 

この本の著者、田中泰延氏の定義する「随筆」は

―「事象と心象が交わるところに生まれる文章」―

ということになる。

 

そして肝心なのは、次のようなことになるのである。

―(事象と心象)その2つがそろってはじめて「随筆」が書かれる。

人間は、事象を見聞きして、それに対して思ったこと考えたことを書きたいし、また読みたいのである。―

 

なるほど、「事象」と「心象」かぁーー、うまいこと言うなあーー、と、感心してばかりもいられない。

 

ここに書かれていることを実践するには、次の2つのハードルを超えなければならない。

それは、身の回りに起こる様々な「事象」を、ただスルーすることなく興味深く捉える感性と、それを「心象」として文章に書き起こすことで、第3者に巧みに伝えられる表現力である。

 

第1のハードルは、感性を刺激する「事象」がそれほど世の中に転がっているか、ということである。

たぶんこれは、ただ転がっているということはない。

普通だったら見逃すような「事象」も、「心象」への接点を持たせるための感度を上げるよう、自らを訓練する必要があるのだ。

 

第2のハードルである「心象」を表現する筆力だが、これは訓練を重ねるしかないのではないか。

もちろん「才能」という領域はあるだろうけれど、それはまた次元の違う話だ。

ここについては、ひたすら、自分の力量の範囲で頑張るしかないような気がする。

 

さて、そういう努力を重ねて、自分の「読みたいこと」が書けるかどうかである。

まあ、田中氏が

「人間は、事象を見聞きして、それに対して思ったこと考えたことを書きたいし、また読みたいのである。」

と書いておられるのだから、それを信じよう。

 

これまでも「報告書」を書くように書いたものはないのだから、これからもいろいろな「事象」について、そこそこ面白がって書いていけば、そのうち質の高い「心象」風景になるのだろう。

 

この本、とにかくおもしれえす(^^♪

おしまい