データが自分の生産性を決めていたのだから―代償は生産性3分の1・・・―Ⅳ
「ググれカス」的な対応を時々、家族、その中でも娘たちから受ける私。
これに対してはこちらも言い分がある。
家族で食事に行くときなど「お父さんもググれば?」と言われるのがそれにあたる。
しかし、私に言わせれば、何でも食べられる私と、食べられるものや好き嫌いが結構多い私以外の家族とでは条件が違う。
私は、どんな店を選んでもどんな料理であろうとも文句など言わないのだから、
「自分たちの行きたいところを選べばいいじゃないか。」
というのが私の意見なのだ。
せっかく「ググって」選んでも、後で否定されるのであれば却ってめんどくさい。
思わず、自分の愚痴になってしまった。
デジタル系の便利さを少しでも駆使できないと、非難される世の中。
おかしな現象とは思うが、これも時代の流れなので仕方ないのかも知れない。
さて、このコラムの筆者はどうなったのであろうか。
その「実害」は予想していた以上になったようだ。
具体的に起きた現象の話に入る前に彼は次のように書いていた。
―3週間のGAFA断ちで、これ以上続けるとクビになりかねないと思うほど仕事に支障をきたした。
簡単にGAFAと縁は切れない。
データが自分の生産性を決めていたのだから。―
ということである。
実験的に始めたGAFA断ちだったものの、仕事に支障きたしては元も子もない。
このあと、彼の身の回りで起こった数々の事実を知るにつけ、デジタルネット社会が我々の生活にいかに食い込んでいるかを、読んでいるこちら側も知るところとなる。
つづく