AIにできないこととは―人間は感性の世界で勝ることができるのか―Ⅱ(おしまい)
洋服のコーディネートにしても俳句にしても、その世界の門外漢から見れば、AIが仕上げてきたものは、標準レベルをはるかに超えていたのである。
この日の番組では、人間側もおめおめと負ける訳にはいかないので、その道のプロ(スタイリスト)や俳句愛好家の集団などを対抗馬として揃えていた。
人間はこのレベルのプロや専門家になると、その作品に、もはや「無難な路線」は出してこない。
ただ「標準的なレベルの上」というのではなく、「捻りを加えた面白さ」といった世界観をぶっつけてくる。
もちろんこれは、下手な人がやってしまったら、ただ滑るだけのことだろうが、基本を心得たその上のクラスの人が挑めば、かなり面白いものが出来上がってくるのである。
優劣を判断する審判団の方も、個性や独創性といった世界観を評価していた。
将来、AIが、今あるいろんな仕事に取って代わるだろうということで、その脅威論のような予測ばかりが取りざたされているが、ここに、人間が考えるべき対応のヒントがあるのだろう。
つまり、これまでなかったような組み合わせとか、従来の常識を破るような独自性といったものである。
ということは、人間がなにか標準ベースとなるような知識なり、スキルを身につけて、それを切り出していくような仕事は、ほぼAIに取って代わられる、ということになる。
そうならないためには、何かしら、常にクリエイティブであることが要求されるのである。
これは、人間にとっては大変な世界のようにも思えるが、私などは「面白い」と思ってしまう方だ。
「作業」的な仕事をすべてAIがこなしてくれるのであれば、常に何かクリエイティブなこととか、未来に向かって役に立ちそうなことを考えていればいい。
いずれにしても、技術というのは留まることを知らず、進化していく。
それを脅威に感じるよりも、よりいい形で共存していく、と考えた方が前向きだし、何といっても楽しいだろう。
おしまい