平均的思考は捨てなさい・・・「偏差値」が表すのは知性のごく一部Ⅱ

「平均」的であることを良しとする評価基準だけで行くとすると、様々な支障が生じます。

例えば「平均」の代表格である「偏差値」で人を判断しようとしてもうまくいかないことが多かったのではないでしょうか。

 

これに振り回されてきたのが日本の教育現場であろうと思います。

というより、これによってすっかり国力を失ってしまったのが日本、と言っても過言ではないのではないか、と私など思うくらいです。

 

こういったことに関してこの書評では次のように述べられています。

―この点は知性を評価する際にも問題となる。しばしば、あの人は頭が良いなどと表現し、ある分野の知性で優れている人はすべてにわたって優れていると考えがちだ。―

 

この「ある分野の知性」というのは、一人の人間の早い時期から言えば「受験に強い」ということになります。

しかも、この世界は先述の「偏差値」で大学別にきれいに輪切りにされており、上から順番に難関大学によるヒエラルキーが確立されているのです。

 

言うまでもなく、「受験に強いという知性」は、人生のごく初期のしかもかなり限られた範囲のものであり、多様性に富んだ「知性」が指す世界のごく一部でしかありません。

にもかかわらず「すべてにわたって優れている・・」という大いなる誤解が世間の意識を支配してきた訳です。

 

 

つづく