時間の使い方次第なのだ!―「読書という山脈」をいかに制するか―Ⅲ(おしまい)
飛行機の中やカフェと違って書斎ではなかなか読書に集中できないもう一つの理由は、雑念に振り回されやすいからという前述の理由とも関連するのだが、仕事から帰って晩飯の支度をし、食べ終わってその後片付けまで済ませた後は、ソファーにゴロッとなって他愛もない映画か、どーでもいいユーチューブを観るくらいしか気力も体力も残っていないのである。
映画なんて「観るだけ」なんだけれど、シリアスな内容のものなどは観る気にもなれないのだ。
というわけで、そこから改めて書斎のデスクに向かい、小難しいビジネス書かなんか読むとなると、かなりのエネルギーを要するため億劫なのである。
しかしまあこれは言い訳に過ぎない。
机に向かおうと思えば向かえなくはないはずである。
だいたいユーチューブなんてホントにくだらない時間の使い方なのだから、やはりちょっと頑張って、読書に時間を回すべきなのだろうと思う。
思うにこれは、自らを習慣づけられるか否かにかかっているのではないだろうか。
最初はきつくても慣れればできなくはなさそうな気もする。
まあ、このことは以前から考えていた課題なので実行してみる価値はあると思っている。
うまくいってもいかなくてもまたここで報告したい。
読書を可能にするもう一つの提案としては、朝の時間を有効活用したらどうか、ということが考えられる。
私は今、ほぼ毎日5時半くらいには起きるので、朝、読書に充てるとすれば結構充分な時間を取ることができるのだ。
しかし、今のところこの時間は読書には当てていない。
というのは、この時間は「読む」のではなく「書く」ことに充てているからだ。
実はこの時間、毎日、テーマはフリーでかなりの分量書くことにしている。
所定の量書くのに約一時間かかっているので、通勤時間に家を出るまでには読書の時間は取れない。
ここを読書の時間に充てるためには、もっと早く起きなければならないことになる。
夜、とっとと寝ればそれも可能なのだが、昔から夜更かしをしていた癖が抜けずに、ついつい寝る時間が遅くなってしまうのだ。
まあここも改善の余地はありそうである。
さてあれこれ書いてきたが、今私は、冒頭に書いた「読書という山脈」を走破しなくてはならない、と思っている。
これは、私にとって以前から変わらぬ大きな課題なのだ。
ここで必要なのは、一にも二にも「時間の使い方の工夫」であろう。
この「時間の使い方」で、私はこれまでの人生、随分無駄にしてきたのではないか、と振り返ることが多い。
それは、何をやっていいのかわからなくて、迷いに迷って無駄にしてきた、というのではない。
やるべきことはわかっていたのに、それを怠って無駄にしてきた、ということが大半であった。
そのことは自覚しており、それでこれまで随分後悔もしてきた。
同じ過ちで後悔しないためにも、どうにかして「読書」を習慣化したい。
その工夫の結果はまたご報告したいと思います。
時間を有効に使わなくては・・
おしまい