日本は三流、五流の国家に・・・―財界OBが語る新型コロナウイルス禍において気づかされたこと―Ⅰ

先日(5月18日月曜日)の読売新聞のインタビュー記事の中で面白い見解が述べられていた。

インタビューに答えるのは、経済同友会前代表幹事の小林喜光氏(73歳、三菱ケミカルホールディングス会長)である。

 

「デジタル化対応急務」というタイトルで述べられていたのは以下のような内容であった。

―(今回の新型コロナウイルス禍において)日本はデジタル化やその活用が決定的に遅れていることが明確になった。

在宅勤務の社員が判子を押すためだけに出社を強いられ、ウェブ会議ではズームやスカイプなど米国企業のシステムが多く利用されている。

日本は三流、五流の国家に落ちつつあるとの認識を持つべきだ。―

のっけから厳しい見解である。

 

今回の新型コロナウイルス禍に際して、73歳の小林会長は、日本企業の非効率性、他国のソフトやシステムに依拠せざるを得ない今の実態を強く実感されたようだ。

三流、五流という言い方に、やや年齢を感じるが・・

 

私も、原稿の執筆など仕事に集中して、ようやく気持ちが乗ってきたぞ、と思う瞬間に、

「銀行提出書類に判子ください。」

と、総務の女性がやって来るのには閉口させられることがある。

もちろん彼女は、自分の仕事なので悪気はない。

 

こんなとき私は、ようやく掴みかけた文章のとっておきのフレーズが、どこかへ飛んでいくのをどうすることもできない。

そうやって、一度飛んで行ったあの素晴らしいフレーズは二度と戻ってくることはない。

再び仕切り直して、集中力を取り戻そうとあがかなければならないのである。

 

こんなとき、

「なんでいまだに銀行は『判子』なんだよ!」

と強く思う。

「こんなやり方しているから、外国の金融機関に大きく後れをとるんだよっ!」

と、心の中で叫ぶのである。

 

もちろんネットバンキングなどを取り入れ、かなり合理化は進めているが、肝心のところでは『判子』すなわち印鑑による押印が必要なのである。

毎回『判子』を押す瞬間に、上記のようなことを強く感じるのである。

 

           いい文章だったのになあ・・・・

つづく