殺し文句は「それでどうするんだ?」―コロナ危機、こういうときに抵抗勢力を押し切って一挙に改革を進めよう―Ⅳ

「したり顔の指摘屋」や「わけ知り顔の批判屋」を冷静に見れば、実は「何も言っていない」ことは、本当に経営をしている人からすれば、一発で分かること、指摘されるG氏。

 

こういった人たちの底の浅さや中身のなさはすぐに見抜ける、とG氏は喝破します。

それは案外簡単な質問でした。

 

―(「したり顔の指摘屋」や「わけ知り顔の批判屋」が口にする言葉は)「この点は考えたのか?」「今やるのは、いかがなものか」「本当に大丈夫なのか?」「誰が責任をとるんだ?」…などなど。

要するに、実は何も言っていないことが透けて見えてきます。

 

簡単な話、こういう人には、

「リスクは分かった、それで、どうするんだ?」

と訊いてみれば、どの程度のものか一発で分かります。―

 

なるほど、こういう人たちには「それでどうするんだ?」と聞き返せばいいわけですね。

現在話し合っている最も重要な内容は「今ある課題をどう克服するのか?」ということですから、1歩でも解決に近づかなければ意味のないことになります。

 

この手の人たちが「それでどうするんだ?」と聞かれて、なんと返事するかでその思考の浅さや具体性のなさが露見するのです。

その点をG氏は次のように述べておられます。

 

―「いや、だから…」とゴニョゴニョ言い出したら、「本当に打ち手など、全然考えていない」ことがハッキリします。

難しい中をどうするのか…、易しい経営などどこにもありません。(中略)

 

もちろん、判断や決断、実行にはリスクがつきまとうだけに、深い悩みに襲われます。

しかし、その恐怖に負けて単に臆病になったり、「問題だ…」の話にうっかり乗って、判断や決断を先延ばしするとしたら…。―

 

「傍観者」を決め込んでいるこの手の人たちは、「それでどうするんだ?」と聞かれても、おそらくG氏が言われるようにゴニョゴニョとしか返事はできないでしょう。

しかし怖いのは、トップが臆病になっていれば、こういった言葉が逆に救いになるということです。

 

「俺はやろうと思っていたんだけど、あのとき反対意見が強かったからなあ・・・」

と、イクスキューズのネタになるということです。

それがどれほど危険なことか・・・・G氏の言われる通りです。

 

      

      「したり顔の指摘屋」や「わけ知り顔の批判屋」の言葉に負けちゃあいけません。

 

 

つづく