「便利なもの」を使いこなすためには個々人の自覚や判断能力が問われる―代償は生産性3分の1・・・―Ⅸ(おしまい)
GAFA断ちの実験を終えた筆者は、結論として、その感想を以下のように述べている。
―実験を終え、スマホやSNSの使い方が変わった。
アプリのプライバシ―設定を厳しくし、時にはスマホの操作をやめて妻との会話や図書館での時間を楽しむ。
小さな工夫だが、誰にどこまで「自分」を渡すかを自ら決める。
その貴重さこそ実験の成果だった。
あの過酷で孤独なGAFA断ちは、もう二度とごめんだけれども。―
この筆者は、記者という職業柄もあるのだろうが、普通の人よりはかなりスマホやGAFAに依存していたのだろうと思う。
「もう二度とごめんだ・・」というところまで自分が追いつめられるか考えてみたが、そこまではなさそうな気もする。
巷では、むしろあえて「そういう時間を作った方がいい」といったことも言われているようだ。
「依存症」という言葉も使われているようだから、この筆者が言うように、自らの意思でコントロールする必要がありそうだ。
最後にこのコラム全体の総括として、次のように締めくくっていた。
―GAFAとの関わり方の選択肢は、個人が握る。
規制だけでは解決にならない。
共存のためには、どう利用するのかを自分で判断することが必要だ。―
GAFAの規制で先行しているのは、今のところヨーロッパと日本らしい。
しかし、この筆者が言うように、上からの規制だけでは所詮限界があるだろうし、かえって不便になる可能性もある。
テレビが普及し始めた頃、このままでは「一億総白痴化」する、と憂えた社会評論家もいた。
まあ、こういった「便利なもの」というのは、それを使いこなすためには、いつの時代も個々人の自覚や判断能力が問われるのだろう。
おしまい