まだ個人に選ぶ余地がある日本―代償は生産性3分の1・・・―Ⅷ
この筆者は、GAFA断ちをしてみて困ったこと良かったこと色々あったようである。
GAFA断ちを経験してみて得た教訓(それこそがこの実験の目的だったわけだが・・・)について次のように書いている。
― GAFAに与えられるものと、奪われるもの。
どちらが重要かの答えは難しい。
次第にこう考えるようになった。
「こうして迷えること自体、幸せなのではないか」
実験中に訪れた中国では、あらゆるデータが管理された社会システムの下、人々は「ここから外れて生きられない」と抵抗をあきらめていた。
日本はそこまで徹底したデータ管理社会ではない。
データとどう関わるか、個人に選ぶ余地がある。―
日本の場合、例えば決済については、まだ現金の流通割合が高い。
今のところ
「だから日本ダメなんだ。遅れているんだ。」
という論調が主流である。
しかし、それは、日本人は現金を持っていてもそれほど危険ではないし、決済時における信頼性が高いからだ、とも言われている。
人々がきちんと約束通り支払いもすれば、偽札も横行しているわけではない、ということである。
特に中国の場合、電子決済が普及したのは、先を行っている、というよりも現金決済の信用性が低かったから、という事情もあるようだ。
とはいえ、様々な場面でのアナログ的世界からの脱皮の必要性は、急を要しているのが日本の置かれている立場だ。
そういえば、先日、遠隔地のクライアントさんの領収書のチェックをどうするか、ということが問題になった。
今のところ郵送で対処しているが、すべてが電子決済になれば紙の領収書はこの世から消えてしまう。
少なくとも業務上では、日本もできるだけ早くそうなるべきではないのか・・・
つづく