絶対に間違わないということにしておこう―「無謬性」という神話を打ち破るには―Ⅰ

日本には昔から「無謬性の神話」という言葉があります。

 

 

無謬性の神話とは、例えば官僚などが

―間違いを認めない、間違っていたことを認めたら自分たちに対する信頼が失墜する、叩かれて新しい政策を打ち出しにくくなる。

だったら自分たちは間違っていなかった、絶対に間違わないということにしておこう。―

といった行動をとるときに使われる言葉です。

霞が関の省庁全般に、そこで働く官僚全般に対してよく使われる言葉なのです。

 

このことに関して、政策コンサルタントであり室伏政策研究室代表の室伏謙一氏が、さらに突っ込んだ見解を述べておられたので紹介したいと思います。

 

室伏氏は、財務省の政策について、次のように述べておられます。

―政策が間違うこともあるでしょう。

それを避けるために十分に検討し、議論するわけですが、人間が完全ではなく、間違うことがありうる以上、仕方がないことではあります。

間違っていたら、間違いに気づいたら、早いうちに政策を修正をするか、その政策を止めればいいはずであり、本来であればそのための政策評価、PDCAサイクルだったはずです。―

 

この政策が間違っていた時に彼らがどうするのか。

それが冒頭の

「間違いを認めない、間違っていたことを認めたら自分たちに対する信頼が失墜する・・・」

という文章に続くわけです。

 

役人のこういった習性は、霞が関の官僚ならずとも私も感じていたことです。

間違いと言わないまでも、明らかに不合理な行政執行上の困った事態が起こっても、彼らはすぐには修正しようとはしません。

 

彼ら独自の手順を踏まない限り、修正には応じないのです。

民間の感覚ではとても待っていられないので、私の場合、取引を断ったケースもありました。

 

 

 

つづく