悪名は無名に勝る、のか?―「情報発信」について改めて考えてみる― Ⅳ
「悪名は無名に勝る」・・・これについて、見城氏はその見解を次のように述べておられます。
― 仕事もせずに、悪事に手を染めている奴は、ただの悪人である。
悪名と悪人は、全く違う。
悪名は、あくまでも話のネタである。
人の口に名が上がり、語られることによって、いつの間にか、その人は伝説になるのだ。―
まあ、本音を言えば、悪名よりもいい話で人の話題に上りたいものですが、人はいい話よりも悪口の方を言いたがる動物、ということなのでしょう。
更に悪い話は盛れば盛るほど面白い、という原則もあります。
この点についても見城氏は次のように述べておられます。
― 人はいい話だけを語ってはくれない。
話を面白くしようとしたり、妬みや嫉みからその十倍二十倍、悪口を言うものだ。
でも、それでかまわない。
悪名を伝説に変えるためには、俎上に載せられる痛みに耐えなければならない。
伝説ができれば、仕事は向こうから勝手にやってくる。
悪名とは、一つのビジネスモデルなのである。―
ここまできれいに開き直れれば痛快であります。
悪名を受け止めるだけの覚悟があります。
普通、人はここまで耐えきれません。
一番よくあるのは、悪口を言う土俵まで自ら下りて行って「自分はそれほど悪い奴でもないんだよ。」と、申し開きを行ない、その同じレベルで他者の悪口を言い始めることです。
そうして、自分へ向けられそうな「悪名」というレッテルを回避しようとするのです。
悪名もいっぱしのものになるためには、ある一定期間「痛みに耐え続ける覚悟」が必要なのでしょう。
そうでなければ、大したレベルのものにはならないのかも知れません。
つづく