後継者との喧嘩も財産?:企業トップは何を情報発信するのか―会社の物語(ストーリー)は貴重な財産―Ⅱ
親子喧嘩、それは、先代或いはその前から続いてきた事業を巡る経営の方向性の分岐点だったともいえるのです。
大抵の場合、
「親父の言う通りだった。あのとき、全面的に先代のいうことを聞いていればよかった。」
なんてことはあり得ないだろう、と私は思っています。
もちろん、先代のいうことにも一理あって、当時の自分には理解できなかった、ということもあるとは思います。
しかしやはり、その時代、若い社長が「こうではないか。」と考えたことは、それまでの考え方ややり方がもう違ってきている、変える必要がある、と判断したからにほかなりません。
つまり、親子喧嘩、特に経営者のそれは、事業を巡る旧時代と新時代の代理戦争のようなものです。
少なくとも私が見てきた多くの事例には、そういった様相が多々見られました。
かくいう私も、父とは随分ぶつかりました。
父は、それまで自分のやり方で、ある程度の成功を収めていました。
尚且つ、地方におけるほかの産業がかなり廃れて行っている中で、まだ一定の事業性は保っていましたので、父は自分のやり方を変える必要性など微塵も感じていなかったのです。
私は、それまでの父のやり方を否定するつもりはさらさらなかったのですが、そのままの延長で未来へ向かってやって行けるとも思えませんでした。
いろいろと考えながら、新しい機軸を次々と打ち出す私と
「これまでの、俺のやり方のどこが悪いんだ!」
と思う父とはしばしばぶつかったのです。
そこの親子喧嘩の場面だけ思い出すのは、私もごめんこうむりたい気分です。
しかし、あれは経営方針のぶつかり合いだったんだ、と思えば、今進行している事業にとってもそれなりに意義のある通過点だったといえるのです。
つづく