いまだに続く私のスニーカー史―そろそろやめようと思うものの―(前編)

もう買わなくてもいいんじゃない!

昔からスニーカーが好きだった。今でも好きである。

しかし、70過ぎても仕事はまだ現役で、平日の昼間はずっと働いている身、スニーカーを履くのは週末或いはその他休みの日と決まっている。

ほぼその数日しか履けないスニーカーなんて、そんなに沢山抱えていてもしょうがない。(と、カミさんには口やかましく言われております。)にもかかわらず、大量に所有しているのは、まあ好きだからにほかならない。

一部の愛好家の中には、全く履かないものも含めて、すごい量のスニーカーをまるで展示しているかのように所有している人もいると聞く。それに比べたら、私なんぞ可愛いもんではないだろうか。

私はあくまでも自分が実際履くためのものしか買わない。だから購入したスニーカーは、できるだけすぐにローテーションに加えて万遍なく履くように心がけてはいるのだが、いかんせん前述のように、休みの日にしか履く機会がないので、なかなか出番のない奴も出てくる。

今こんな風に、スニーカー、スニーカーと普通に語ったり書いたりしているが、遠い昔、私がまだ若かった頃、このスニーカーという用語は一般的ではなかった。といっても、50年くらい昔の話ではあるが。

 

それって運動靴じゃねぇの?

最初にスニーカーを意識したのは確か20歳の頃だったと思う。友人の一人が、朝出かけるのにどの靴を履くか、彼の兄と揉めているのを見たときの話だ。たまたま、前の晩からその友人のアパートに泊まっていた私は、二人が揉めている様子を興味深く見ていた。

アメリカの留学から帰ってきたそのお兄さんが、向こうで買ってきた靴を、その日どっちが履くかで朝から揉めていたのだ。

「今日は俺が履きたいから貸せよ。」と私の友人。

「いや、今日は俺が履く予定だ。」と兄貴。

「この前は、お前が履いたじゃないか。今日は俺に貸してくれよ。」と友人。

「ダメだ。今日は俺が履くんだ。」と兄貴。

朝から玄関先で、険悪な空気になってまで、その日履く靴について揉めている二人を見て私は不思議に思った。その揉めている原因になっている靴というのが、私から見ればただの運動靴だったからである。

キャンバス生地のスニーカーを当時私は、ただの運動靴としか思っていいなかった。もっと言えば、当時「ズック」と言っていたはずである。体育かなんかの時履く安物の靴としか思っていなかったのだ。それを兄弟して朝から取り合いをしている。

ほかに靴がないわけでもなかった。『どっちでもいいじゃん。』・・その争いの様子を見ていて、私はおなかの中で思っていた。

 

コンバースは貴重品

この運動靴、今でいうスニーカーが、お洒落靴としてのポジションを担っているのだ、ということを始めて軽く意識した出来事だった。意識したと言っても、そのときは、どういうことなのかさっぱりわからなかったのだが。

その争っている運動靴の「こんなもんのどこがそんなにいいんだろう?」と不思議だったのだ。しかし、その後しばらく時間が経って、自分にもスニーカーの知識が少しついてきたとき、あの兄弟が取り合いしていたのは、友人の兄貴がアメリカから買ってきたコンバースのオールスターだったらしい、ということに気がついた。

これもあとで学習したのだが、当時、コンバースはそう簡単に手に入る代物ではなかったのだ。アメリカ帰りの兄貴が持ち込んだコンバースは、あの頃極めて貴重な逸品だったのである。

そういえば、映画「アイ、ロボット」の中で主演のウィル・スミスが、コンバースのハイカットの黒いバスケットシューズを履くシーンがある。ハイテク全盛の世の中でレトロな佇まいのキャンバスシューズが、ものすごくカッコよく映る印象的なシーンだ。

コンバースを巡る大昔の兄弟喧嘩。とにかく、そんなしょうもない場面の軽い目覚めから始まって、私のスニーカー歴は50年以上に及ぶことになる。

これは珍しい。ブルーのオールスター

 

スニーカーをカッコよく履きたい!

コンバースといえば思い出すことがある。ようやく、そういったスニーカーのカッコよさが、当時の私たち若者に浸透し始めた頃、コンバース、ケッズ論争というのがあった。

確か、アメリカの東海岸を代表するコンバースと、西海岸を代表するプロケッズ(ん?逆だったかな?間違っていたらごめんなさい)のどっちがカッコいいか、の論争だったと記憶する。最初、単なる運動靴にしか見えていなかった私も、この頃になると、「スニーカーをカッコよく履きたいな。」と、意識するようになっていた。

雑誌やなんかでそれを見ていた私は、当時、やや手に入りにくかったプロケッズの方に軍配を上げた。つま先に赤と青のストライプが目印についているプロケッズを何とか手に入れようと頑張ったのだ。今考えれば、6千円か7千円くらいだったと思うが、当時としてはかなり高根の花だった。

バイトかなんかで金を作った私は、ようやく念願のプロケッズを手に入れることができたのである。当時付き合っていたガールフレンドの前で、プロケッズの靴の裏を見せて「ほら、この靴はアメリカでバスケットシューズとして使われているから、滑り止めのためにこんな風に複雑に溝が掘ってあるんだよ。」と軽く自慢をしたのだった。で、その後二人で出かけた。

そこで調子に乗って、玉川上水沿いの土手を歩いていたとき、濡れていた地面で足を滑らせてすってんころりんと転んでしまったのだ。滑り止めが完璧なはずのアメリカンスニーカーでとんだ恥をかいた一幕だった。

やはりコンバースの名品、ジャックパーセル

キャンバスではなくレザー使用です。

 

なんじゃこりゃ!ナイキの履き心地

さて、そんなちょいと恥かしい歴史から始まって、私のスニーカー歴は、すでに50年を超えたことになる。その間、いろいろなタイプのものやブランドに手を出してきた。

日本で初めてスニーカーブームを牽引したコンバースとプロケッズ。私もまんまとそれに乗っかったが、次にスニーカーを強く意識したのはナイキだったと思う。

このときのナイキは雑誌に紹介されていて、読み方がわからず「ニケ」かな?と思った。あのクルっとカーブしたマークが印象的だった。

最初に購入したのは、レザー製ではなく、ナイロンの製品だったと思う。初めて履いたとき、その軽さと履き心地の良さに衝撃を受けた。「なんじゃこりゃ!!」と心の中で叫んだものだ。

スニーカーというものに対する認識が一変した瞬間だった。それまでのコンバースやプロケッズとは異次元の履き心地に驚いた。靴っていうのは、こんなにも楽なもんなんだ、と強烈に意識させられた初めてのできごとだったのだ。

後で知ったことだが、ナイキはオニツカタイガーを手本にして立ち上げたブランド、というエピソードがあった。オニツカタイガーのあまりの品質の良さに強い影響を受けたという話である。

ということは、ナイキでこんな衝撃を受ける前にオニツカタイガーを知っていれば、国内ブランドであの履き心地の良さを味わえたかも知れない。しかし、そんなブランド力など当時知る由もなかった。

おそらくあの頃は、オニツカタイガーといえば、スニーカーというよりは先述した運動靴、という認識だったのだと思う。なんか、体育会系の人間しか履かないスポーツ専用シューズと思っていた節がある。お洒落に履こうなどとは全く発想もしなかった。

若い頃は、結局ナイキをよく履いた。カッコ良かったし、なんと言っても履き心地が良かったからだ。

 

 

 

つづく