若干の後ろめたさ・・―「着道楽」?楽しく、面白く生きるのが、私の人生の目標(by石津謙介)―Ⅱ
カミさんに長女と次女。
わが家の女性3人はどうやら「着道楽」というほどではないようで・・・
さて、そんな家族の中で男である私だが、どちらかといえば「着道楽」の方だろうと思う。
なんだか歯切れが悪く聞こえるかも知れないが、お洒落に身をやつすというほどでもないのでそんな言い方に留めておこう。
洋服は好きではあるが、「着道楽」とまで言い切ってしまうのにはやはり少し抵抗があるのだ。
というのも、ブランド志向というのは私にもなく、好きなタイプのまあそれなりに上質な服を楽しめればそれでいい、という程度だからである。
男にしても女にしても、ファッションに金をかけ始めたらキリがないのではないか。
ファッションブランドというのは、産業構造として、意図的に流行を作り出しているようだから、それを追っかけ始めたら無間地獄に陥っていくことだろう。
バブルの頃は、そんな話をよく聞いた。
つまりわが家では、女性陣がそうでもなくて、どっちかといえば男である私の方が「着道楽」に近い、という図式なのだ。
ちなみに一番下に男の子がいるが、こいつはファッションにはまるで興味がない。
いつも、あんまりひどい恰好をしているので、たまに会ったときにカミさんと私が、
「服を買ってやる。」
と言っても、そんなことに時間を割くのがめんどくさいのか
「いいよ。いらないよ。」
と断ってくる。
それでも、カミさんが無理矢理デパートやユニクロあたりに引っ張っていって、
「これを着なさい。」
とあてがっているくらいである。
さて、となると、わが家で唯一の「着道楽」かなあ、と思うのは、私だけということになる。
何回も言うように、この点は歯切れが悪い。
この「着道楽」という点については、若干の後ろめたさをぬぐうことができないのである。
この「後ろめたさ」は、DNAに刻まれているのではないか、と思えるほどである。
どうしても、どこか心の奥に「男のくせに・・」という言葉がついて回るのだ。
別に「派手な衣装で着飾りたい」といった極端な性向があるわけではないので、気にすることもないのだろう。
とはいえ、日本の男子には、「着るものなんぞに・・・」といったDNAみたいなもんが刻まれているのではないだろうか。
今年購入したオフホワイトのニットパーカー。
なんか、このフード付きって奴が好きでして‥
つづく